二世信照(生)坊道念◇建保2年(1214)
 父を尋ねて高野山に登り、出家修行に励まれていた信照坊道念(幼名石童丸)は、建保2年8月、同山で、父苅萱道心の往生を悟られ、山を下り、信濃に赴かれました。そして亡き苅萱道心の遺志を継ぎ、西光寺第二世として寺に住し、建保4年8月、63歳で入寂されました。父苅萱(寂照坊)、二世石堂丸(信照坊)ともに、一刀三礼の地蔵尊を一体づつ刻まれ、霊験あらたかな「親子地蔵尊」として、当山の御本尊御開帳仏となっております。

※旧「長野市史』(大正14年版)では、「西光寺等の縁起によれば、仁平の頃(約765年前)、筑前の國博多苅萱の庄に、加藤左衛門尉重氏というもの住み、一朝無常を観じて京都に上り、法然上人の弟子となり、寂照坊等阿と號し後高野山に登り永萬元年の春より善光寺に来りて日々如来堂に参詣して念佛し云々」と記されていますが、寺伝では、高野山へ登ったのが、永萬元年(1165)ごろとされています。


前へ 4/10 次へ